千歳先生の逝去後(1984年6月6日)、私は波乱の人生を歩む中で「唐手の火を消してはならない」と自らに言い聞かせ、上記の研究と考察を続けた。
下記がその成果を示す活動の足跡である。
@. 中国の友人である呉 林俊君の好意の企画で実現した「千唐流ルーツ探しの旅
(上海市同濟大学−嵩山少林寺−陳家溝(陳家太極拳)−黄檗山−福建省石竹山武術学校/
1997年)」の各場所で交流演武を行う。
A. カナダ・トロント市での「千唐流空手道の叡智」をテーマにした単独演武会/2003年_Peter Giffen錬士の企画。
Tsuruoka sensei(Canada), Dometrich sensei(US Chitoryu)が見学に来てくれ、「おやじ(千歳先生)の動きに似てきたぞ!」と激励を受けた。
B. 「唐手ガンフー」に挑戦/2006年6月 春日部市。千歳先生が唐手継承者選出する審査会に参加した模様を聞いていたので、
それに倣い、 簡素ながらも会場を設定、儀式を含め約40分の演武に挑み達成することができた。
特定亜細亜国への怒り
私は、日本を取り巻く昨今の社会情勢にきな臭さと危機を感じながら、化学汚染物質PM2.5を含む灰黄色の大気に覆われた山々と街並みを眺める。
翌日も、自然の情緒ある霞(かすみ)とはまったく違う、胸が息苦しくなるような空気が漂う景色を。 次の日も……。
そして4月の始め、青く澄んだオーストラリアの空の下から熊本に帰った翌々日、風邪でもないのに鼻水と咳が出始め……ついに押えていた怒りの制御回線が切れてしまった。
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